「視聴」と「参加」
お久しぶりです。みずにゃんです。
2020.9.24-25
"ORALIUM" @KT Zepp Yokohama
行ってまいりました。
2月から半年以上ぶりのオーラルのライブ。頑なに配信ライブをやらなかった彼らのライブを、この目に焼き付けてきました。
1日目、ステージには白幕が降りている。暗転後、いつもの4本打ちをすることなく、PCを見つめる人がステージ前方に現れた。
そしてPCの画面が幕に映し出される。
アンケート結果に基づいたプレイリストが展開されるとの文字。
なるほど、事前にInstagramでオーラリウムの公式アカウントをフォローさせられたのはそういうことか。と納得。
1曲目はステージ前に出てきた人が選択した「Ladies and Gentlemen」
そして幕に映し出されるメンバー。
観客と同じ空間で演奏しているのは間違いないはずだが、幕で分断された空間に戸惑った。
2曲目は「PSYCHOPATH」と「カンタンナコト」の選択肢がインスタのストーリーに現れ、迷いながらも「PSYCHOPATH」を選んだ。(初日はネタバレ防止のため、A or Bとだけ表示されており、お留守番組には訳がわからなかったと思う)
そして演奏されたPSYCHOPATH。幕が上がる。
まるで水槽のような箱の中で、4人が向かい合って演奏する姿が現れた。箱の正面には、世界観を如実に表す映像が浮かび上がり、すごく綺麗だった。
しかし、メンバーの姿は見えづらいし、観客への煽りもない。
自分が選んだ曲が演奏されて嬉しいはずなのに、正直戸惑った。
その後流れるようにNakedへ。MVを再現した映像に興奮した。
そしてMCでは、約半年ぶりの主催ライブ、約1年ぶりのワンマンにも関わらず、観客への呼びかけがない。自粛期間にメンバーが何をしていたか?の話が続く。MCの内容も一部、私たちが選ぶことができた。
そして演奏へ。
「mist...」と「Mr.ファントム」の選択肢が提示され、「mist...」が演奏された。
いつもなら「目の前に見えるZepp Yokohamaの人間〜!」と歌ってくれるはずなのに、「目の前に見えるきれいな人間」と拓也さんが歌ったとき、気づいた。
"もしかして、私たち観客はいないことになっている?"
「起死回生STORY」で、止まることなく、観客に歌わないでと言うこともなく、「起死回生STORY 昨日のように」と歌い上げたとき、それは確信に変わった。
"私たちは、プレイリストを視聴しているんだ"
と。
(出典: https://instagram.com/oralium_official?igshid=1tyri6pjrvkua ストーリーズより)
確かに好きな曲をたくさんやってくれた。生で演奏を聴かせてくれた。それなのに、どうしてこんなにも寂しいんだろう。せっかく半年ぶりに会えたのに。生で音を浴びているのに。私はオーラルのライブを熱望していたはずなのに。
前半がつまらなかったと言っているわけでは一切ない。日本初の試みで、すごくワクワクさせてもらった。新しいことにどんどん挑戦していくオーラルは、さすがだった。
そしてさらに数曲演奏した後、幕が降り、「Breathe」が流れた。ミラーボールを生かした幻想的な空間に酔わされていたら、またPCの画面が現れた。
「視聴を続ける」or「視聴をやめる」
THE ORAL CIGARETTES
— Shin Okawa (@shino6o6) 2020年9月27日
「ORALIUM」at KT Zepp Yokohama
Vision Artworks③
Creative Director & Planner
Shin Okawa
Motion Graphics Artist
kinari
Hiroaki Okuyama
Live Effect Artist
Tetsuya Kubota pic.twitter.com/99dftc8YWv
「続ける」を押そうとする演出。しかし、画面は切り替わらず。そのまま砂嵐となり、オーラリウムは壊れた。
1本打って!ただいまより!
2本打って!THE ORAL CIGARETTESの!
3本打って!オーラルのライブはやっぱこれっしょ!の会を!
4本打って!始めたいと思います!
STARGET。崩れ落ちた。
これが、私がこの半年間求め続けていた"THE ORAL CIGARETTESのライブ"だった。
拓也さんが「お待たせ!さあかかってらっしゃい!」と叫ぶ。いつも通り、メンバーは観客を見て煽る。声は出せないけれど、めいっぱいの動きで興奮を伝えるフロア。これだ、私はこれが見たかったんだ。
"「さあもうそろそろ時間さ」
「そこで待っていたのは僕のほうだ
君を想い うつむき唱うの
『ただいま おかえり』と記憶に帰して "
だからSTARGETだったんだ。
2日目の5150では、普段は観客が大合唱するところで拓也さんが「これが見たかったんだろ!?生のライブはこれだ!」というような言葉を叫んだのはすごくグッと来た。
MCで拓也さんが言った。
演奏する姿を見せて、寂しさを埋めてほしいって気持ちはわかるし、素晴らしいライブ配信をしてる人たちもいるけど、どうもピンとこない。
ライブをやるなら絶対、対面でやりたい。
あなたたちがほんとに好きなのはどんなライブ?
演者があなたたちのことを見てくれないライブ?声が出せないライブ?
それでいいの?
たとえ寂しくて配信をやってほしいと言ったとしても、普通の配信ライブはしない。配信に「ライブ」という名前をつけたくない。
俺は、ライブに代わるものは絶対にないと思っている。このままだと、未来の人たちが『なんで家で配信ライブが観れるのにわざわざ会場に行くの?』となってもおかしくない。それは絶対に嫌だ。皆でライブハウスを、生のライブを守りたい。
そういうことだったんだ、とやっと理解できた。
安易に配信"ライブ"に舵を切ることで、本当の"ライブ"が失われてしまう可能性なんて、私はこのコロナ禍の間、考えもしなかった。
そんな未来のことまで見通して、「生」の現場にこだわるオーラルが本当にかっこよくて。目先の「とにかく会いたい、演奏している姿が見たい」という気持ちでいっぱいになって、本質が見えなくなっていたことに、オーラルが気づかせてくれた。
私は、ただライブを、演奏を「視聴」したいわけじゃない。演者の熱量を受け止め、200%で投げ返したいんだ。ライブに「参加」したいんだ。
前半の「観客を入れずにスタジオで演奏しており、それを監視カメラで撮られている」という設定のライブがあったからこそ、気付くことができた。
また、「ただ観客を無視する」だけでなく、その表現の中でも観客をなんとか楽しませようと工夫された演出にも、オーラルの暖かさを感じた。一部リクエストライブにしてくれたのも、昨年のプレパでの観客からの意見を取り入れたものだろう。
昨年のパラデジャで、「夏フェスで冷たくしてごめんなあ。」って笑っていた拓也さんのいたずらな笑顔が浮かぶ。ニクイ。
本当にありがとうございました。
【現場主義】のオーラルにこれからもついて行きます。
長文乱文失礼しました。
ここまで読んでくださった方は、本当にありがとうございました。